1984年に引退した可部線の旧型国電73系の記録である。
旧型国電が日本全国から次々と引退し、国鉄可部線は最後の聖地であった。
73系(1959年の称号改正前はモハ63系)は戦時下の人員の大量輸送を理念に通勤用に設計された車輌で、最盛期には総数1000輌を超えた。
しかし、物資、設備が不足していた時代に誕生した車輌であるため、飯田線や身延線を走った近郊型旧型国電のような華やかさはない。
近年は72系とも呼ばれるが、現役当時の書籍には専ら73系と記載されていた。 モハ63系からの名称変更であって、花形である制御電動車(クモハ)を有する形式としても直感的な名称である。 よって当サイトでは73系と呼称する。 ちなみに旧型国電の70系や80系旅客車に制御電動車は存在しない。
可部線の73系は、昭和45(1970)年に国鉄呉線の電化に伴い首都圏から広島地区に転出されたもので、地方運用に際し一部の車輌に便所が整備された。
昭和51年に呉線に115系が投入されると、状態の良い車輌は押し出し式に可部線で使用され、残りは廃車となった。
可部線に73系が走るのは、昭和59年までのわずか8年間ということになる。
最後期に運用されていたのは、クモハ73とクハ79の2形式のみの全20輌であったが、経歴が様々で個性があり、形式写真を記録するに飽くことはなかった。
2020年6月 記
可部線の73系4両編成
撮影:1984.01.02. 横川駅
クモハ73
クモハ73001 全景
形式:クモハ73
自重:44.5t 換算:積 5.5 空 4.5
全検:- 定員:136人 所属:広ヒロ
座席:ロングシート 数:56席
台車:DT13
製造年:昭和21年 日本車輌
改造年:昭和35年(近代化)
前形式:モハ63143
木製の内装を近代化仕様に改造された試作車輌で、外観は2段式窓に改造されているが、ウィンドウ・シルとヘッダーは残されていた。
前面も同様に保たれていたが、前照灯は埋込み型に更新されていた。
撮影:1984.01.02. 可部駅
クモハ73001の客室
隣の車輌はクハ79328。
クモハ73001 客室 3-4位側から *
冬季であるため、天井の扇風機にはカバーが取り付けられている。
ここには見られないが、御殿場線の73系にはカバー中央の丸い部分にも広告が貼られていた。「ワリコー」「リッキー」など債権関連の広告だったと記憶している。子供だったので意味は理解できなかったが。
車内から乗務員室への扉は右側に設置されていた。
クモハ73001 客室 1-2位側から *
73系の車内は基本的にはこのような様子で、通路中央のドアの前にスタンションポール(掴まり棒)が設置されていた。
ロングシートは両サイドの手摺下部が板で塞がれたタイプであった。
クモハ73009 全景
形式 クモハ73
自重:45.8t 換算:積 5.5 空 4.5
全検:57-10 定員:136人 所属:広ヒロ
座席:ロングシート 数:56席
台車:DT13
製造年:昭和22年12月 日本車輌
改造年:昭和23年2月 東京電装
昭和40年 浜松工場(近代化)
前形式:モハ63533
撮影:1984.01.02. 海田市駅
前面の中央窓のみ縦長のマスクは近代化アコモデーションした73系の代表的な顔である。
図面上はウィンドウ・シルが記載されているが、写真からは確認できない。
スマートな車体と、窓の上下段比が1:1の2段窓は500番台に酷似している。
可部線においては書類上の同仕様車が009・021・027・259の計4輌が在籍していた。
クモハ73009 客室
貫通扉両脇の窓は3位側は開閉可能であった。これは隣の車輌クハ79466も同様で、4位側はHゴム化され固定窓になっていることが見て取れる。
車内録音されているファンが見受けられる(筆者達ではない)。
クモハ73009 車内録音
クモハ73027 全景 *
形式 クモハ73
自重:47.5t 換算:積 5.5 空 4.5
全検:58-8 定員:136人 所属:広ヒロ
座席:ロングシート 数:56席
台車:DT13
製造年:昭和23年1月 日本車輌
改造年:昭和23年3月 小糸製作所
昭和27年 吹田工場(製造銘板より)
昭和38年 幡生工場(近代化)
前形式:モハ63547
撮影:1984.01.02. 可部駅
図面上はクモハ73009と同一仕様の車輌。
クモハ73027 車内録音
車内の形式番号
クモハ73027 製造銘板
左上から
日本国有鉄道 幡生工場 昭和38年改造
日本国有鉄道 吹田工場 昭和27年改造
日本国有鉄道
日本車輌會社 車 昭和23年
クモハ73259 全景
形式 クモハ73
自重:47.5t 換算:積 5.5 空 4.5
全検:57-6 定員:136人 所属:広ヒロ
座席:ロングシート 数:56席
台車:DT13
製造年:昭和22年6月 汽車会社
改造年:昭和27年11月 東急車輌
昭和38年 -(近代化)
前形式:モハ63647
撮影:1984.01.02. 海田市駅
図面上はクモハ73009と同一仕様の車輌。
躯体の一部が木造であるにもかかわらず、自重が47.5tと現在の平均的なクモハ車輌より10tも重く、旧性能車という実情がこんな数字からも伺える。
クモハ73259 客室
ロングシート両脇が手摺のみで、下部に板材のないタイプ。
また、通路中央のスタンションポールもない。
正月の撮影であるため、晴れ着を身につけた女性が見受けられる。
クモハ73313 全景
形式 クモハ73
自重:44.5t 換算:積 5.5 空 4.5
全検:58-8 定員:136人 所属:広ヒロ
座席:ロングシート 数:56席
台車:DT14
製造年:昭和23年1月 日本車輌
改造年:昭和23年3月 小糸製作所
昭和38年 幡生工場(近代化)
前形式:モハ63808
撮影:1984.01.02. 可部駅
モハ63の時代にあった前面中央窓の上部にベンチレーターの痕跡が見て取れる。
これは大量輸送を目的に開発された63系は良好な換気を得るために設けられた通風口であったが、雨が吹き込むなどのトラブルから鉄板で塞がれることになる。
連結器下の器械はATS車上子だろうか。最前面に配置されていることが確認できる。
DT14台車
DT14台車は、可部線の他のクモハ73形で使用されているDT13台車と異なり、軸受け両脇にコイルばねを装着したウィングばね式で、この流れは101系電車のDT21台車へと引き継がれることになる。
一方、台車中央の枕
ば
ね
は板
ば
ね
のままで、進化の過程を垣間見ているものと言えよう。
旧型国電に多く見られた板ばねであるが、我々が目にしている鋭角に突き出た形状は、菱形をした全体の半分に過ぎず、奥側に対象形が隠れていることを追記しておく。
通常は4列の板ばねが写真を見る限り2列であることも気になる点である。
元々DT14を履いた車輌は少なく、1980年以降に残っていた旧型国電では当車輌が唯一であった。
DT14の中でも細部に差異があるようで、他のサイトを検索してもこの表情の台車は見当たらず、今となっては貴重な資料に昇華したと言えるだろう。
さて、DT14は同時期に製造された一等寝台客車マイネ40のTR40台車の開発に伴い誕生した台車であることが判明した。
一等寝台車に使用されるほど先駆的な台車であったことが伺える。
クモハ73313 側面 可部駅にて
行き先を示すサボは、ウィンドウ・ヘッダー上ではなく、新たに車体腰部に取り付けられ運用されていた。
圧搾空気を利用した閉じる機能のみの半自動ドアは、開放中は手動で開閉可能で、扉の内外にコの字形の把手が取り付けられていた。
写真左端には腕木式信号機が写っている。当時は現役で使用されており、タブレットの交換も行われていた。
クモハ73313 客室
客室窓は2段に改造されているが、上下の比率が1:2と3段式の雰囲気を残していた。
乗降扉および戸袋の窓はHゴム化されている。
一方で客室は木製の内装や通路中央のスタンションポールが残されていたことも見て取れる。
クモハ73383 全景 *
形式 クモハ73
自重:44.5t 換算:積 5.5 空 4.5
全検:57-6 定員:136人 所属:広ヒロ
座席:ロングシート 数:56席
台車:DT15
製造年:昭和24年6月 汽車会社
改造年:昭和29年 東急車輌
昭和38年 -(近代化)
前形式:モハ63811
図面上はクモハ73313と同一仕様の車輌。
撮影:1984.01.02. 可部駅
クモハ73313と図面上は同一仕様の車輌である。
アコモ化に際し、3段窓は上下比1:2の2段窓となったが、客室扉および前面1位側窓は当初の姿を留めている。
図面から判読するに客室乗降扉の窓が1:2に分割されているクモハ73はこのタイプのみで、車番は041・061・064・084・086・105・132・143・169・187・191・235・265・289・291・313・325・351・375・379・383の24輌で、可部線には5輌が配属されていた。
クハ79
クハ79004 全景
形式:クハ79
自重:30.2t 換算:積 3.5 空 3.0
全検:57-2 定員:128人(表記定員 136人)
所属:広ヒロ
座席:ロングシート 数:52席
台車:TR23
製造年:大正8年 天野工場
改造年:昭和47年 幡生工場
前形式:クハ15009(木製)
撮影:1984.01.02. 海田市駅
大正8(1919)年製造の木造17m車クハ15を戦時中に台枠を延長し鋼体化した5輌のうちのひとつである。しかし戦時下の混乱のためか、この改造年を含め詳細は手元の資料に記されてはいなかった。
これら5輌のうち昭和47年のアコモ化に際し、便所が取り付けられる車輌としては唯一のものであった。
新規にモハ63型として誕生した車輌と異なり、車体と台枠との取合いの関係から妻面の裾の形状に特徴があることを確認されたい。
また、前面窓はHゴム化されているが、ウィンドウヘッダー・シルは残されていた。ヘッダーの幅が他の車輌に比べ狭いことも特異な点である。
荷物専用
可部線には郵便・荷物専用車輌はなかったため、一輌をまるごと乗客を立入禁止にして運用に当てがっていた。乗降扉に「荷物専用」の札が掛けられているのが確認できる。
可部線の営業距離60.2kmのうち電化されていたのは、可部までのわずか14.0kmであった。それにもかかわらず、郵便・荷物輸送を鉄道が担っていたのである。今ではにわかには信じられない状況であるが...
便所は撮影当時は使用禁止となっていたが、外観から、手洗いの排水、汚物は共に垂れ流し方式だった状況が見て取れる。
TR23
台車はTR23で、特徴のある四角い軸箱はローラーベアリングが採用される以前のタイプの平軸受である。
昭和4年から量産された台車であることから、当初のクハ15に装備されていたものは前形式の台車であったと考えられるが、TR23自体も非常に古い設計であることに変わりはない。
ちなみにこのタイプの台車に電動機を搭載したものがDT12である。
また、隣のクモハ73259との屋根高の相違も興味深い。
屋根高:
クハ79004 3720 mm
クモハ73259 3654 mm
クハ79004 客室 1−2位側から *
内装は壁材、床材が木製であることが見て取れる。右奥には便所が設置されていた。
クハ79004 客室 3−4位側から
モケットのシートは戦後に施工されたものである。
大正8年誕生の車輌であるが、便所の外壁の化粧板の様子から、便所設置改造時(昭和47年)に他の壁材も更新(アコモ化)されたと考えられる。
台車も昭和初期に履き替えているため、テセウスの船よろしく、クハ15当時の部材は果たしてどこまで残っていたのだろうか。
クハ79004 便所設備 *
可部線のクハ79全10輌のうち5輌には便所があったが、撮影当時は全て使用禁止になっていた。扉は外側に金具で固定され開けられなくなっていた。便所はいずれも昭和40年代後半に取り付けられたもので、クハ79004は47年のアコモ化に際し増設された。
写真の右に写る箱はドアコックの表示があることから、ドアエンジンが格納されているものと考えられる。便所取付により4席分のロングシートが撤去されたためである。
車内の所々に灰皿が確認できる。
当時は車内での喫煙は普通のことであった。通勤ラッシュ時など時間指定禁煙が数年後から始まり、禁煙・喫煙車輌区分、全車禁煙へと20年以上をかけて社会は変わっていった。
非常用ドアコック位置表示プレート
「非常用ドアコック
車両の火災など非常の場合のほかはあぶないですからドアをあけて外に出ないでください
腰掛の下のハンドルを手前に引けばドアは手であけられます
もし線路に降りるときは特にほかの汽車や電車にもご注意ください」
非常用ドアコックの表示は73系(旧63系)との因縁は深く、昭和26(1951)年4月24日に起きた桜木町事故(死者106名、重軽傷者92名)に起因する。
事故の詳細は他サイトへ譲るが、事故の翌日には車体側面にドアコックの位置を示す▼マークが、室内にはドアコックの注意書きを記したガリ版刷りのビラが貼られたという。
のちにドアコックの位置表示は義務化され、正式なものがこの写真のプレートとなる。
今ではあまり使われなくなった「腰掛」や「汽車」という言葉が昭和を感じさせる。
筆者にとって、この表示は国電の原風景のひとつで、幼い頃はまだ記載内容は読めず、意味もわからなかったが、マーク的なものとして記憶していた。こういったかつての日常風景を記録できたことに、ささやかな喜びを感じる。
クハ79214 全景
形式:クハ79
自重:30.2t 換算:積 3.5 空 3.0
全検:57-2 定員:128人(表記定員 136人)
所属:広ヒロ
座席:ロングシート 数:52席
台車:DT13
製造年:昭和22年1月 川崎車輌
改造年:昭和45年 幡生工場(便所取付)
前形式:サモハ63456
撮影:1984.01.02. 可部駅
クハ79214 客室 1-2位側から *
戦中・戦後間もなくに製造されたサモハ63を種車にしたグループで、昭和45年のアコモデーション化に際し便所が取り付けられたタイプが全3輌あった。その中で可部線で使用されたのはこの1輌のみである。
サモハとは電動車として計画されながら、物資が乏しい時代であったため電装設備が完了せず、付随車として運用していた形式で、モハ、サハと区別するために付けられた名称である。
そのためクハであるにもかかわらず、台車はモーター搭載可能なDT13を履いている。
アコモ改造時に客室扉、戸袋窓はHゴム化され、客室窓は2段窓になったが、上下の比率が1:2で3段式の名残が見られる。前面窓は往時の姿を留めている。
前面の縦雨樋が下に延長され、突き出ているのもこの車輌の特徴である。
クハ79214 客室 1-2位側を *
客室運転台側の貴重な写真である。
乗務員室扉が右側で中央窓は板で閉じられていることが判る。
乗降扉は金属製で他が落ち着いた木製であるため、浮いて見えてしまう。
3位側の非常用ドアコック *
非常用ドアコックは扉付近の座席下だけではなく、貫通扉付近にも備え付けられていた。
注意書きには
「非常の場合は下のツマミをお引き下さい」
「トンネル内での火災の場合は使用しないでください」と記述されていた。
クハ79312 全景
形式:クハ79
自重:30.2t 換算:積 3.5 空 3.0
全検:57-2 定員:128人(表記定員 136人)
所属:広ヒロ
座席:ロングシート 数:52席
台車:TR48
製造年:昭和28年 日本車輌
改造年:昭和45年 幡生工場(便所取付)
前形式:-
撮影:1984.01.02. 可部駅
昭和28年に新製された車輌で300番台として区別される。昭和45年に2段窓化、便所取付改造されたものが当車輌で、可部線にはクハ79308、クハ79312の2輌が在籍していた。
手元の図面では、前面はシルとヘッダーを残したHゴム化3枚窓。
便所の窓は高さ30cmほどの横長形として描かれているが、写真を見る限り正方形に近い2枚窓である。 また、乗降扉は前から3番目のみが往時の仕様の2枚窓となっていた。他の扉は全検時にいわゆる共食い更新したのだろう、Hゴム化1枚窓である。
台車は枕ばね、軸ばね共にコイルを使用したTR48を装備していた。
クハ79328 全景
形式 クハ79
自重:32.0t 換算:積 3.5 空 3.0
全検:- 定員:136人 所属:広ヒロ
座席:ロングシート 数:56席
台車:TR48
製造年:昭和28年 日立製作
改造年:-
前形式:-
撮影:1984.01.02. 可部駅
昭和28年に新製された車輌で300番台として区別される。前面窓に傾斜のないグループで比較的原型を留めおり、可部線にはクハ79326、クハ79328の2輌が在籍していた。
326は1位側前面窓が開閉可能であるのに対し、当車輌は3枚とも固定窓の同型である。
また、前面のオレンジ警戒色が下部まで達していないことは、固体識別の手がかりとなり得そうだ。
客室窓は3段式のまま運用されていた。
この3段式窓は後にも先にも旧63系のみの仕様で、戦中・戦後の人員大量輸送では換気が課題となっていた。上段、下段の窓を中断に収めることで向上する思惑があったと考えられる。
中段窓も上段へ移動できたらしく、この場合は下2/3が開放される。
しかし、往時の写真を見る限り、上段、下段窓の開放した状態ばかりである。
先述の桜木町事故においては、この3段窓が原因で乗客が逃げ遅れたと言われている。窓一段当たりの高さが30cmに満たないためである。
ちなみに近代化改造で上下段比が1:2となった窓は、下段の半分が上部の躯体内に格納できた。つまり窓全体のうち下2/3が開放可能な構造であった。
なお、クハ79328はウィンドウ・ヘッダーが客室扉のみならず、乗務員扉の上部にまで廻り込んでいる珍しい個体でもある。
クハ79446 全景 *
形式 クハ79
自重:31.0t 換算:積 3.5 空 3.0
全検:- 定員:136人 所属:広ヒロ
座席:ロングシート 数:56席
台車:TR48
製造年:昭和31年 近畿車輛
改造年:-
前形式:-
撮影:1984.01.02. 可部駅
クハ79300番台の最終ロットで、可部線ではクハ79446とクハ79466の2輌が在籍していた。
外観上の特徴は前面窓が10度傾斜し、前照灯が妻面に埋め込まれた点で、これは後の101系のデザインへと踏襲されることになる。
客室窓は3段式が採用され、ウィンドウ・シルとヘッダーも見られる。戸袋はHゴム化された一枚ガラスの大窓仕様であるが、内装側は3段窓に合わせた桟が施工されていた。
クハ79466 全景
形式 クハ79
自重:31.0t 換算:積 3.5 空 3.0
全検:- 定員:136人 所属:広ヒロ
座席:ロングシート 数:56席
台車:TR48
製造年:昭和31年 近畿車輛
改造年:-
前形式:-
撮影:1984.01.02. 海田市駅
クハ79446と同一仕様である。
乗務員室の後ろの客室窓に檻状の格子が付いれいるのは、可部線がタブレットを使用して運行していたためで、受け渡し時に誤って窓ガラスを破損しないための防護装備であった。