新宿駅

 飯田線の旧型国電が全廃されたのは1983年6月のことであったが、イベント列車として「さようならゲタ電」号が同年8月6・7日に運行されるとあり、遠征することにした。
友人と二人で、夜を明かす初めての鉄旅だったと記憶している。
写真が残っている箇所しか記憶は残っていないのだが、新宿駅から始まっているので、小田急線で上京したのだろう。
当時の時刻表には乗車する列車がマークしてあったため、ルートの全貌が明らかになった。それによると新宿発の夜行で辰野まで行き、そこから飯田線を南下。車窓からロケハンしながら撮影ポイントを定め、その後は飯田線を豊橋まで走破し、東海道本線の各停で帰路とする内容であった。中学生だったので旅館へ泊まることはせず、ひたすら電車に乗るという、強行計画であった。

2018年8月 記

新宿駅5番線
新宿駅5番ホーム


吸いがらは 吸いがら入れに
吸いがらは 吸いがら入れに

まだ禁煙や分煙といった規制のない時代であった。

201系
201系

夜行列車の席取りのため、早々にホームで並んでいるときのスナップ。


183系の車内を
183系の車内を

 

新宿駅を出る特急わかしお
新宿駅を出る特急わかしお

 




 441M 新宿発長野行き夜行普通列車

23:55発 長野行き
23:55発 長野行き

かつて中央本線には夜行の普通列車が存在していた。その流れは現在の臨時快速ムーンライト信州へと引き継がれるのだが、よりゆっくりとした行程のスジを毎晩運行していたのである。
また時刻表からもわかるように、夜行の急行アルプスが臨時も含めると5・6本あったという事実は、今となっては夢のような話である。終着駅が大糸線の信濃森上駅ということからも解るように、北アルプスの登山客に愛用されていた列車たちだったのだ。
飯田線へ向かう我々には441Mのダイヤがちょうどよく、おまけに急行料金も必要のない列車で入線時刻は21:44。発車の2時間以上も前という、今では考えられないような設定であった。

撮影:1983.08.06. 新宿駅

昭和58年8月 中央本線時刻表
昭和58年8月 中央本線時刻表

出典:国鉄監修時刻表 1983年8月 日本交通公社


大月駅にて
大月駅にて

三脚を使った長時間露光も夜行を使った旅の醍醐味である。

大月駅にて
アルプス57号と

ずっと忘れていた記憶であるが、115系脇に立つ小太りの男は、車内で大きな声と横柄な態度で周囲が眉をひそめていた人物だ。シャッターチャンス時に写り込むとは、天性の迷惑者なのかもしれない。いつの時代にもいるとはいえ、嫌な記憶が写真で甦ってしまった


14系座席車のアルプス57号
14系座席車のアルプス57号

大月駅では17分停車し、その間にアルプス57号が抜いていった。

甲府駅
甲府駅

甲府駅では1時間の長時間停車


甲府駅
甲府駅から竜王方面を

左の機関車はDD13だろうか? 
水銀灯とシグナルの赤い光に旅情を感じたものでした。

甲府駅に長時間停車する441M
甲府駅に長時間停車する441M

115系の長大編成の普通夜行。これが当たり前の光景であった。


小淵沢駅
小淵沢駅

夜が明け、高原のひんやりした空気が漂っていた。



 飯田線

飯田線時刻表
昭和59年8月 飯田線時刻表

飯田線では上諏訪発の228Mに乗り南下した。
また、目的のゲタ電の撮影ポイントは田切、七久保、上片桐付近と定めていたようだ。
車窓からのロケハンで七久保-伊那本郷間に決定したのであった。

出典:国鉄監修時刻表 1983年8月 日本交通公社

伊那松島
伊那松島駅

今回走るイベント列車「ゲタ電」が発車準備をしていた。

119系
七久保 - 伊那本郷 間を行く235M 119系

七久保駅からの道程はほとんど覚えていない。ここは逆側から撮るのが定番のカーブで、すでに何十人も先客がいた。昔から並んで撮ることを良しとしない私たち二人は対岸のここにセッティングすることにした。

七久保駅入場券(硬券)
七久保駅入場券(硬券)

さようなら 飯田線 ゲタ電
さようなら 飯田線 ゲタ電

クハ47069 + クモハ54110 + クハ47009 + クモハ53008 の4両編成
今回の旅はこの1枚のための遠征だともいえる。

撮影:1983.08.07.09:52 七久保 - 伊那本郷 間


クハ47069
伊那大島駅

イベント列車「ゲタ電」の撮影を終えると、七久保駅から234Mに乗り終点の天竜峡で始発の646Mで豊橋へ向かった。
途中、中部天竜の留置線には「ゲタ電」の姿があり、その他の留置されている旧国を撮影しているファンの姿があった。
予定にはなかったのだが、14:23~14:36の停車時間を利用して、撮影に挑んだのである。
本当ならば形式写真として、1両ずつ全車輌を記録したいところだが、10分あまりの停車時間は短すぎた。ただ、今では考えられないことだが、留置線に立入って撮影せてもらえるという良き時代の情景がとても懐かしい。

クハ47069
中部天竜

 

クハ68405
クハ68405

さようならゲタ電
運転を終えたイベント列車「さようならゲタ電」

ヘッドマークには

静岡局
さようなら 飯田線 ゲタ電
1983-8-6・7
伊那松島機関区

と記載されていた。

さようならゲタ電
「さようならゲタ電」号の辰野側

クモハ53008


80系のデッキ
留置線に並ぶ旧型国電

左からクモハ54117、クモハ54111、クモハ54001、クハ47069

旧型国電運転台
同車輌を別角度から

同形式でも様々な経歴のため外観に個性が現れ、同定可能となった。例えばクモハ54111は前面の管理用ステップが尾灯の上部に配置されている。

クモハ54117
クモハ54117

詳細ページ>>

クモハ54108
クモハ54108

詳細ページ>>



 

飯田線の旧型国電を追いかける旅もひとまずこれで終了し、再訪するのは8年後の佐久間レールパーク、オープンの年となるが、あくまで静態保存された展示車両であり臨場感ともいうべき鼓動は感じにくいものであった。
少年期の1、2歳の年齢差は、大人になってからのそれとは比較にならないくらい行動差を生じる。こうしてみると私は現役の旧国を追いかけた最後の世代となるのではないだろうか。

記憶にはないのだが、メモによると中部天竜から先も鈍行を乗り続けたようだ。飯田線はエスケープルートがないため、豊橋に出なければ帰宅できないのである。貧乏な中学生は新幹線を利用せず、東海道本線も鈍行を利用した。それでもなんとか21時前には帰宅できたようだ。



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