キハ35系は大別すると、片運転台で便所設備のあるキハ35、片運転台で便所設備のないキハ36、両運転台のキハ30の3タイプとなる。
撮影当時は翌々月から相模線の電化完了により205系500番台に引き継がれる状況下で、妙な義務感から現地へ赴いた次第であった。
キハ36は既にJRから形式消滅していたが、相模線にはキハ35、キハ30が共に活躍し、500番台や900番台などのバリエーションも見られた。
キハ35は片運転台で便所を有した通勤型気動車として1961(昭和36)年に誕生した。
後年、踏切事故による乗務員保護対策から前面に補強板の追加改造された車輌も多く存在した。
相模線ではそれまでの朱色5号の1色(通称たらこ色)だった塗色から、1986(昭和61)年からクリーム1号、青20号に変更され、前面は補強板のみを青に塗色した。補強板未施工の車輌はこの形状に従い塗り分けが行われた。側面は扉を残して青帯が施され、それまでのキハの印象を大きく変えるものとなっていた。
なお、当ページの写真はいずれも1991年2月11日、厚木駅、相武台下駅にて撮影したもので形式写真を若番から掲載することにした。
2021年7月 記
項目 | 値 | |
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定員 | 座席数 | ロングシート 58 |
立席数 | 74 | |
主要寸法 | 最大長(mm) | 20,000 |
最大幅(mm) | 2,929 | |
最大高(mm) | 3,945 | |
台車中心間距離(mm) | 13,800 | |
自重(t) 0番台 500番台 900番台 |
32.4 32.6 28.4 |
|
動力機関 | 形式 | DMH17H |
連続定格出力(ps)/ 回転数(rpm) | 180/1,500 | |
台数 | 1 | |
最高運転速度(km/h) | 95 | |
台車 | 形式 | DT22C , TR51B |
軸間距離 | 2,100 | |
車体 | 運転台 | 片側 |
暖房装置 | 温水 | |
便所 | 和式 1 | |
付属装置 | 冷却水容量(ℓ) | 329 |
燃料タンク容量(ℓ) | 550 | |
便所用水タンク容量(ℓ) | 550 | |
製造 | 初年度 0番台 500番台 900番台 |
1961 1964 1963 |
輛数 0番台 500番台 900番台 |
217 31 10 |
キハ35 0番台
キハ35 81
相模線のキハ35に記載するJRマークは乗務員室扉の後で客室窓と上端を合わせる仕様になっていた。 未施工のまま引退した車輌が数多く存在した。
キハ35 101
前面補強板未施工の車輌であるが、塗装のデザインは補強板の形状を踏襲したものとなっていた。
キハ35 103
厚木駅での一コマである。
現在は写真左側の線路上にホームが新設され、構内踏切は廃止された。
キハ35 109
踏切衝突事故などから乗務員の防護するため前面補強板が施工された車輌。 未施工のまま引退となった車輌も多くあった。
キハ35 109 DT22C台車
前位側に駆動台車DT22Cを履いていた。形状は101系電車の流れを汲むスイングハンガー式で、この時代を代表する表情を呈していた。
キハ35 110
非常に細かな差異として架線注意の表示位置が助手席側窓近くに表示されている点がある。他の車輌も参照すると明確な規定がなかったように思われる。
キハ35 127
相模線のようなスタフ閉塞式路線では尾灯は片方のみを点灯し運行していた。
これは駅間に列車が1本以上運行しない路線においては、夜間は後部標識(尾灯)は1個以上を点けなければならない省令によるもので、近年では昼間も2個点灯させているものがほとんどである。
キハ35 158
キハ35には和式便所が4位のコーナーに装備されていた。
キハ35 163
前面補強板施工車輌。
キハ35 166
3輌編成の中間車として組み込まれたキハ35。
編成は橋本寄りからキハ35 519 + キハ35 166 + キハ30 29。
キハ35 210
相模線では橋本寄り前面の幌を付け残して運行し、中間車として編成に組み込まれたときに使用していた。
キハ35 211
前面補強板施工済み車輌。
連結器は気動車全般に採用されていた密着小型連結器である。
キハ35 212
橋本行きの列車を。
ホームが汽車時代の低いままであることが見て取れる。
キハ35 500番台
キハ35 519
新潟地区用の寒冷地仕様の車輌で昭和39年から翌年にかけて全31輌が製造された。
このアングルからは確認できないが、0番台との外観状の相違はベンチレーターがグローブ型から箱型へ変更された点が挙げられる。当初装備されていたスノープロウやデフロスターは撤去されていた。
キハ35 900番台
キハ35 904
全ステンレスの試作車として1963年に東急車輛により10輛が製造された。相模線には904番が配属となった。
本来は塗装の必要の車体であるが、塗装業務が減少するとの国鉄時代の組合側からの要求により他と同様に塗装されている。
なお、側面のコルゲート(波板)は強度のためではなく、溶接による歪みを隠すための仕上げであった。
また、側面乗降扉3箇所の吊り下げ部が一体化しているのも特徴に挙げられる。