朱色5号のキハ35系
茅ヶ崎機関区のキハ35系
1981年6月撮影の茅ヶ崎機関区(現茅ヶ崎運輸区)である。 この当時のキハ35系は首都圏色、通称たらこ色であったことが伺える。 注視してみると、機関車はDD13、さらに奥の方には2重屋根で3軸ボギー客車のスエ38-7まで写っていた。
にしさむかわ(寒川支線)の標記
1984年3月31日で寒川-西寒川間が廃止となった。
1日4往復と本数が少なく、寒川駅の駅名標を撮ることで諦めることにした。
1984年3月末撮影
寒川駅
同じく寒川駅同日の写真。
非電化路線で信号機も腕木式であったことが判る。
いつのまにか全国から消えた忠実屋のロゴも懐かしい。
分岐する西寒川支線を車窓から
現在は遊歩道へと姿を変えている。
厚木駅 1991年
厚木駅に停車中のキハ35系
厚木駅で乗車するには構内踏切を渡ったホームを利用していた。 2007年より写真左側のレール上に新設されたホームに切り替えられた。 なお、現在も旧ホームには立ち入れないものの残置している。
留置線のキハ35
写真左側がJR相模線、右側は相鉄の管轄で広い構内にかつては車運車「ク」が留置されていたのを覚えている。
左側の鉄筋コンクリート造の建物や奥に写る3本のガスタンクも今はない。
トム275 トム288
この当時でも無蓋車を見かけることはすっかりなくなっていた。ましてトムという小型の形式は稀有なものであった。
写真を観察してみると、社章が掲げられており、相鉄の所有であることが判る。
また、それぞれにラッセルが装着されていることから、積雪時に機関車の前後に連結させて除雪していたものと考えられる。
橋本駅 1991年
DD51牽引の貨物列車
区分としては横浜線の貨物列車ということになるが、当サイトでは横浜線を扱うページがないため、ここに掲載することにした。
DD51も筆者にとっては目にする機会が減っていた車輌である。
遠の昔に電化が完了している横浜線にディーゼル機関車が運行していたのは、当時非電化路線であった八高線直通の貨物列車であったためだろう。
DD51 812
DD51-812は1970年に製造された車輌で、蒸気暖房を必要とする客車を牽引しないグループとして800番台が冠せられた。当時の所属は高崎機関区で、2001年1月に廃車された。(*1)
ヨ8124
車掌車もすっかり見なくなっていた車輌で、物珍しさから撮影したものと思われる。
他の路線では運用されていなかったため、どういう経緯だったのか疑問は残る。
タキ101940
タキ1900形40t積セメント専用車である。
全1729輌が製造され、当車輌は軸受がコロ軸受を装備したグループで101900〜101951の52輌が存在した。
そのうち101940〜の12輌はTR209C台車の枕ばねをコイルばね+オイルダンパに改造したTR209Dを履いていた。(*2)