image image

新信濃変電所

新信濃変電所

新信濃変電所
左から通信用電波塔、高瀬川線No.114、梓川線No.43

 


安曇幹線の起点を探しに訪れたのが新信濃変電所です。
場所は長野県は松本の南西、朝日村の広大な畑地の中にあります。

この変電所の特徴として通常の変圧設備の他に周波数変換を担っている点が挙げられます。
長野県も含めた西日本地域で使用されている60Hzの交流電流を東日本の50Hzに変換しています。
これは明治時代の送電施設黎明期にアメリカ製の発電機を採用した大阪電燈とドイツ製を採用した東京電燈に起因し、1世紀を過ぎた後も統一されることなく今に至ります。

変電所の周囲の送電鉄塔を調査した結果、上流側は高瀬川線、梓川線、新信濃分岐線で、下流側は安曇幹線のみのようで、首都圏の電力を賄うための設備だと言えます。
ただし新高瀬川発電所などは揚水式発電所で、夜間の余剰電力を使用するため、いわば下流側へと変移することになります。

また、特筆すべきは令和3(2021)年に新たに飛騨信濃直流幹線が建設されたことが挙げられます。
東日本大震災直後の首都圏の電力不足は、他地域から電力を融通してもらう必要に迫られましたが、西日本との周波数の相違から充分な電力は得られませんでした。
これらを踏まえ、飛騨信濃直流幹線は建設されたのですが、通常の周波数変換方式ではなく、飛騨変換所で交流60Hzから直流に変換された電流を新信濃変電所で受電し、再び交流50Hzに変換されます。
また、その逆も可能であると思われます。

交流の周波数を変換するには、どうやら一度直流にしなければならないようで、佐久間周波数変換所などは構内に交流60Hz→直流→交流50Hzの設備があるようです。 飛騨新信濃直流幹線はこの「直流」部分に当たり、変換設備は飛騨周波数変換所と新信濃変電所とが分担した構造となります。

それにしても人知れず、こうしたインフラ整備に尽力している方々がいるんですね。

東京電力パワーグリッド株式会社
新信濃変電所

正門の銘板
東京電力パワーグリッド株式会社 新信濃変電所

 

飛騨信濃直流幹線の増設に伴い、変電所の敷地も拡張されたようです。 2022年4月現在のgooglemapなどの航空写真がこの状況に対応していないため、この部分の配置図は曖昧なものとなっていることをご了承ください。

2022年4月探訪

 

半年後の10月に再訪。新設区域を調査し、下記構内図を更新しました。

2022年10月再訪

地図 >  


新信濃変電所構内図

新信濃変電所構内図


新信濃変電所

新信濃変電所

あずまや

正門近くのあずまや

変電設備

変電設備

高調波フィルターでしょうか。見慣れない設備が林立しています。



飛騨信濃直流幹線

交直変換設備

交直変換設備


飛騨信濃直流幹線の最老番鉄塔No.197が構内にあります。
そこから何本もの垂直に地面から立ち上がった碍子で導体が支持され、写真左の建屋内にある交直変換器に接続しているようです。
これらの機器の詳細は不明ですが、ともかく巨大でカッコいい光景が展開されています。

送電鉄塔 飛騨信濃直流幹線 No.196

交直変換設備

近景

写真左の機器はフィルターでしょうか。(直流にも必要なのか?)


飛騨信濃直流幹線 No.197

飛騨信濃直流幹線 No.197

飛騨信濃直流幹線 No.197

飛騨信濃直流幹線 No.197

写真に写る両脇の鉄柱は地線(避雷設備)を支持するためのものだと思われます。


新信濃分岐線

 新信濃分岐線2号回線鉄構

新信濃分岐線2号回線鉄構

新信濃分岐線2号

新信濃分岐線2号回線鉄構の銘板

新信濃分岐線は鉄塔に記載された建設年では平成6(1994)年6月となっています。しかしそれ以前の地図にも同位置に送電線が記載されており、おそらく新信濃変電所に周波数変換設備が開設された1977年に建設されたものと思われます。
275kV、60Hzの高根中信線から分岐し、新信濃変電所で50Hzに周波数を変換した後、安曇幹線を経て首都圏に電力を供給しています。
 

新信濃分岐線 No.6

新信濃分岐線 No.6 ?

中部電力の送電鉄塔は名称札が小型のもので脚部にしかないため、接近することが難しい鉄塔は詳細は判読できませんでしたが、総合的に勘案すると、新信濃分岐線は上流側から見て左が1号回線、右が2号回線で、構内にあるNo.6鉄塔(未特定)で1号、2号回線が分岐し、2号はそのまま鉄構に接続。1号はNo.7鉄塔(未特定)を経て鉄構へと接続しているようです。

送電鉄塔 新信濃分  No.3

新信濃分岐線 No.5

新信濃分岐線 No.5

No.5鉄塔は航空障害塗装の赤白鉄塔。
鉄塔へのアプローチルートがわからず、遠望のみとしましたが、設置された位置の順番からNo.5と断定しました。


安曇幹線1号線

安曇幹線1号線鉄構

安曇幹線1号線鉄構

筆者の当変電所への探訪の目的のひとつに安曇幹線の起点を写真に収めるということにありました。

導体(電線)が水平に3組配置される構造の鉄塔は烏帽子型とも呼ばれ、特異な形状が目を引きます。 しかし、周囲には梓川線や高根中信線などもこれと類似した形状で、安曇幹線だけのものではないことも判明しました。

中でも梓川線が同一形状の烏帽子型鉄塔である理由は、安曇幹線として建設され、その後に当変電所の開設により分離されたことによります。
梓川線が安曇幹線だった当時の番号を継承しているとすれば、安曇幹線No.45が現在の安曇幹線1号線No.2へ改称されたことになります。 そのため梓川線の鉄塔は現・安曇幹線1号線と同一形状をしています。 また、No.43は西側へ移設、No.44は廃止撤去されたことが当時の航空写真から判読できました。

さて、安曇幹線に関してですが、No.6鉄塔の銘板には昭和44年建設とあり、安曇幹線1号線の開設年として判読できます。
一方で変電所構内の鉄構には昭和57年と記載されており、のちに増設された設備であると考えられます。
安曇幹線2号線には存在するNo.1鉄塔が1号線に存在しないのは、このときの設備変更に起因すると言えます。

安曇幹線1号線鉄構

安曇幹線1号線 No.1鉄構

安曇幹線1号線

安曇幹線1号線

安曇幹線1号線 No.1鉄構銘板

安曇幹線1号線 No.1鉄構銘板

安曇幹線1号線 

1 

昭和57年6月(建設)
40M(高さ)

安曇幹線1号線 No.2

安曇幹線1号線 No.2

送電鉄塔 安曇幹線1号線 No.3


安曇幹線2号線

安曇幹線2号線No.1鉄塔と鉄構群

安曇幹線2号線No.1鉄塔と鉄構群

安曇幹線2号線は1号線のすぐ西側に並行して設置してあります。 通常の送電鉄塔では導体が3組で1つの回線が左右にありますが、安曇幹線はこれを1回線ずつに独立させた状態で建設されました。

安曇幹線2号線の調査済みの鉄塔の建設年がいずれも昭和56(1981)年であるため、昭和44年(1969)年建設の1号線より12年後に増設された回線だということができます。

送電鉄塔 安曇幹線2号線 No.1

安曇幹線2号線鉄構

安曇幹線2号線鉄構

 

飛騨信濃直流幹線 No.197

安曇幹線2号線 No.1

安曇幹線2号線

昭和56年5月(建設)
65M(高さ)

安曇幹線2号線 No.1

安曇幹線2号線 No.1

新信濃変電所遠景

鎖川の対岸からの遠景

写真の左から安曇幹線2号線No.1鉄塔、安曇幹線1号線No.2鉄塔。背後の雪山は蝶ヶ岳(中央)と常念岳(右)が望めます。
右下の軽トラと比較するとその巨大さが明確になります。