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駒橋発電所


駒橋発電所は1907年に運用が開始された付近で最古の発電所です。電力需要の高まった東京へ長距離送電を開始した草分け的存在でもあります。
中央本線や国道20号を通るとき、南側の山の斜面に水圧鉄管が見えると思います。鉄管は国道の下を潜り、中央本線を横断する箇所ではその上を跨いで北側を流れる桂川右岸の発電所へと落ちています。このような巨大土木施設と鉄道とが近接しているのも、駒橋発電所の特徴なのですが、それ故に鉄管の経路は複雑です。

では、何故こんな近接した位置にあるのでしょうか。現在では俄に想像できませんが、理由は建設当時の交通事情と関係します。明治後期という時代はまだ資材運搬には自動車(トラック)はなく、専ら鉄道貨物が使用されていました。そのため鉄道からなるべく近い位置でかつ、水利条件が適合する場所に発電所が選定されたという史実があります。

発電用水は桂川の5km上流から取水され、九鬼山の西麓をなぞるように進みます。後口山や沢井沢ノ頭-菊花山尾根ではその山塊を落差を稼ぐため、ほぼ水平に貫いています。1世紀以上前の土木技術ではトンネル部の掘削は手掘りと考えられますが、逼迫したエネルギー事情は巨額の資金が投じられたようで、短期間に施行されたといいます。

出力:21,200kW 
有効落差:104.08m 
使用最大水量25.04m3/sec

上の写真の右下に写るひと際細い穴は、発電所完成当時に存在した起動用発電機の鉄管跡です。発電機には構造上、磁石が必要ですが、通常はコイル式の電磁石が使用されます。
そのため起動時には他の発電所で発電された電力を必要としますが、駒橋発電所は付近で最古の発電所であったため、起動用の電源がありませんでした。
そこで、永久磁石を備えた小型の起動用発電機で発電し、本体の発電機に必要な電力を賄ったといいます。この逸話はTEPCO葛野川PR館の方から伺ったものです。

 

駒橋発電所

 

変電施設

 

水門の遺構

中央本線を跨ぐ水圧鉄管

 

かいじ号と

鉄管が横切る鉄道の風景は異様な雰囲気です。

 

水圧鉄管橋台のディテール

建設当時の心にくい装飾美が伺えます。

現在使用されているのは2本の鉄管

菊花山から俯瞰

駒橋発電所で使用された水は桂川で補充され、大野貯水池を経て八ツ沢発電所で使用されます。

水槽

発電所上部にある発電用水槽の様子

水槽

5.5km上流にある落合水路橋