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ブルートレイン 駅 STATION

- 記念入場券 1/3 -

ブルートレイン「駅」号  日本一周6,000kmの旅 記念入場券 その1 表面

ブルートレイン「駅」号
日本一周6,000kmの旅 記念入場券 その1 表面

東京駅、名古屋駅、大阪駅、上野駅の入場券がセットになっていた。

映画会社、旅行会社、国鉄とデザイン会社それぞれの思惑のため、かなりブレた内容の出来ではあるが・・・

ブルートレイン「駅」号 日本一周6,000kmの旅 記念入場券 その1 裏面

日本一周6,000kmの旅 記念入場券 その1 裏面

STATION 駅 1231

BLUE TRAIN
AROUND/JAPAN 1981

ブルートレインに乗ろう

18時すぎの東京駅13番線には、青い車体にステンレスの帯を輝かせた博多行「あさかぜ1号」がその雄姿を見せています。ブルートレインの荷物輸送車輛を一輛目に見て、次の車輛が個室A寝台車(乗車券・特急券のほかに個室料金10,000円が必要。博多まで片道21,600円)。続く2~13号車(8号車を除く)は2段式B寝台。70cm幅の余裕ある空間は人気も高いようです(寝台料金は4,500円で同じく博多まで16,100円。スリッパと浴衣が用意されています)。8号車は食堂車で、ここでは「ブルートレイン」の旅を盛り上げるメニューの数々が用意されています。夜行列車は、原則的に夜発車し、朝ないしは午前中に終点到着というダイヤが組まれています。ブルートレインを愛する人々の中には、夜明け時に食堂車に出向き、朝食をとりながら各地の日の出をながめるのを、無上の喜びとしている人がいます。事実、夜明け時の爽やかさはブルートレインの旅の醍醐味。とくに、九州方面行の列車では海の日の出を見ることができ、プルートレイン愛好者にはとくに人気があります。

ブルートレイン第1号「あさかぜ」

「わが国の経済や流通の事情は、この20数年の間に、大きく変化してきました。とくに、自動車や航空機による輸送方法が飛躍的に発達しましたから、それにつれて「ブルートレイン」が走る意味も変わってきています。
日本初の「夜行特急寝台列車」として登場したのは「あさかぜ」でした。これが「ブルートレイン」の元祖。昭和31年11月のことです。「あさかぜ」は、当時の人々の注目を集めました。というのも、東京―博多間は急行で約22時間の長旅でしたから、所要時間17時間15分の九州直通特急「あさかぜ」に対する期待は大きかったのです。その後「ブルートレイン」の数も増え、その情緒と便利さが理解されることによって、マニアも増えたのです。


動くホテルと呼ばれた20系の人気

「あさかぜ」は、登場後さらにもう一度、新たな人気を博したことがあります。それは、20系「あさかぜ」の一般公開があったときでした。20系客車は、細部にわたって画期的な設計を施された車輛でした。開設当時の、電源を一車に集中して、照明系統、冷暖房系統、調理用へと給電してやるシステムがまず話題を呼びましたし、インテリア設計も、それまでのものとは大きく違っていました。20系「あさかぜ」一般公開のときには、東京駅に準備されたPR用パンフレント10000枚が、ほんのわずかな時間のうちになくなってしまうほど、大きな関心を寄せられたのです。また、20系客車は、その豪華さから「動くホテル」といわれ、指定券を入手するのが困難な時期が、しばらく続いたものです。

ブルートレインはヨーロッパから

ブルートレインの語源をご存知でしょうか。この言葉はヨーロッパから出ています。1800年代の終盤、ヨーロッパの紳士・淑女を乗せた豪華列車が地中海の保養地へ向けて走りました。つまり、パリなどの主要都市を起点に、紺碧海岸(コートダジュール)をめざしたわけです。そこで、紺碧海岸行きの列車が「青列車(トランブルー)」と呼ばれるようになり、やがて夜行寝台列車を総称するようになったのです。

世界の「ブルートレイン」で有名なものといえば、例の「オリエント急行」でしたが、現在では、南アフリカのケープタウンからヨハネスブルグ経由でプレトリアまで走っている「ユニオン・リミテッド」が、その豪華さのゆえに世界中の愛好者の心をとらえています。