バブル経済後半、JR発足3年目という時代で、ここに掲げたのはその当時流行っていたスキーをしに長野まで赴いたときのスナップである。バスを使わずに鉄道を利用したことは我ながら正解だったと思っているが、鉄に興味のない友人とのスキー旅行の合間の写真であるため、枚数は少ない。
しかし、夜行を利用した夜明けの駅の情景は、今となっては何とも貴重な記録に昇華したと考えている。

2018年12月 記

 

横川駅

急行 妙高
急行 妙高

189系の夜行急行「妙高」である。
何処の駅で撮影したものかと写真を眺めていたところ、軽井沢・長野方面という案内表示が。そして右に写る「おぎのや」のネオンサインを見つけた。そうこれは、釜飯弁当で有名なの「おぎのや」のもので、紛れもなく横川駅だと特定できた。
横川-軽井沢間の急勾配を推進運転する機関車連結のため停車中の一枚である。

1991.02.27. 横川駅

時刻表 1990年12月の時刻表

夜行急行が毎日運転されていた事実と、今では「急行」という種別自体が遺物となってしまった。
使い終わった時刻表は取っておくとタイムトラベルができる。これらの時刻表も親に何度捨てられそうになったことか・・・


横川機関区
深夜の横川機関区

写真中央の車両はEF63 11
華奢な三脚による夜間の望遠撮影のためブレた写真となったことに後悔しているが、当時は現像してみるまで撮影結果が判らない時代であった。

横川機関区
横川機関区

数多くのEF63が待機している横川機関区。現在は「碓井峠鉄道文化むら」となっている場所である。


長野駅

旅はまだ続き、ここ長野駅から長野電鉄、路線バスで高井富士スキー場へと向かうのであった。 長野電鉄の始発までまだ1時間半、友人を待合室へ残し、撮影を続けた。

長野駅
長野駅

直江津側の光景。初代長野色の115系が見て取れる。


キハ40-558
飯山線のキハ40 先頭車はキハ40-558

JR発足後、様々なカラーリングのキハが登場した中で、成功例のひとつと言えよう。
側面のVOITURE AMITIE’はフランス語で友情の列車の意だという。
2017年にキハ110でこのカラーリングが復活するが、キハ40の雄姿にはとても及ばないだろう。

キハ58-1022
最後尾はキハ58-1022

後尾側は国鉄急行色のキハ58であった。次の車両は片運転台、ユニット窓、給油口の数からキハ48と思われる。
平日の一番列車が5両編成とは実に良い時代であった。


寝台急行ちくま
寝台急行ちくま EF64 4 + 12系客車 + 14系寝台車

撮りっぱなしの写真だったため、列車名を特定できずにいたのだが、拡大すると後ろ3両の形状が異なり「寝台急行ちくま」と特定できた。機関車はEF64-4。当時の時刻表から寝台車は3段式と記載されていることから未改造の14系と判明した。
深夜帯に運行するなかなか出会いない列車であり、貴重な一枚となった。


日本海方面へ向かう貨物列車
日本海方面へ向かう貨物列車

この時代のタキは様々な形式の混成貨物であったことが見て取れる。
こういう状態が何十年も続くものと思っていたのだが・・・

381系 しなの2号
381系 しなの2号

当時の時刻表をみると長野駅06:05発 1002M L特急しなの2号とある。
現在は左側に新幹線ホームがある。
また、左側に写る客車は12系のちくまで、テールマークは簡易型の後付け仕様であった。


L特急あさま2号
出発を待つL特急あさま2号

ヘッドマークにL特急のマークが見て取れる。

L特急あさま2号
あさま2号

長野駅 06:21発



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