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身延線の旧型国電

- 1980年5月のスナップ写真 -

御殿場線の73系の廃止後、その幻影を追って身延線へ遠征したときのスナップ写真集である。
まだ私が小学生だったときの写真で、身延線の旧型が廃止される前年の昭和55年はポケットフイルムという規格のカメラで撮影したため解像度が低い。
それ以前に、ただシヤッターを切っただけという構図の写真が大半で、何を考えていたんだろうと我ながら疑問を抱く次第である。が、何枚かは貴重な記録となっているものがある。

最初に身延線を訪ねたのは昭和55年5月3日、同級生と2人でのこと。午前中は熱海駅でブルートレインを撮影し、駅弁を買って海岸で昼食をとったのを覚えている。富士駅には午後に到着した。
停車中のスカ色の電車を見て、御殿場線と同じだと思いながらも、なんか少し違うなぁ〜という気もしていた。当時の私は御殿場線の旧型国電が73系だったことを認識していなかったのである。

クモハ60814

クモハ60814

クモハ60814

クモハ60814

クモハ60814運転台

クモハ60814運転台

ホームで写真撮影をしていたところ、優しい運転士さんが乗務員室へ入れてくれた。現在では考えられない行為だが、ゆるき良き時代であった。

クモハ60814(?)客室

クモハ60814(?)客室

3扉ロングシートの後部が低屋根仕様であることが見て取れる。
また、通路中央のドア付近にはスタンションポール(立席用つかみ棒)が設置されていたのが、旧型国電の特徴でもあった。

また、奥の天井に段差があることが見て取れる。パンタグラフのある低屋根となっている部分である。

クモハ51830

ディテール クモハ51830(左)

シル(リベットの打ってある帯)の幅が異なっていることが分る。ネガの保存方法が悪く、一部が緑色に感光してしまっている。

サボ:富士⇔甲府

サボ:富士⇔甲府

同行した同級生。
右はアコモ車の62系 。

駅階段下のスペースにいくつものサボが置かれていた。

クモハ51830

クモハ51830

クハ47001

クハ47001

クハ47001

クハ47001の車内

編成連結部分

編成連結部分

編成の途中にある運転台は行き来できなかったようだ。
残念ながら形式不明

クハ47001

クハ47001前面

2番線の終端側から

クハ47001

富士宮へ向うクハ47001

クモハユニ44802

荷物の積み降ろし中のクモハユニ44802

クモハユニ44802

クモハユニ44802

電車の形式記号の読み方を知っている者にとって、クモハユニは格好の素材であった。 おまけに800番台という低屋根を区別する番号付きである。

クモハユニ44802

クモハユニ44802側面

クモハユニ44802の客室

クモハユニ44802の客室

運転台側の連結部

ディテール 運転台側の連結部

スカ色の塗り分け位置はウィンドウ・シルの位置で決まるため、高さに微妙な違いがあったようだ。

幌枠

ディテール 幌枠

意外と知られていない事実に、幌枠に小窓があった点が挙げられる。 開閉は可能だったのだろうか?

富士駅の西端にあった跨線テルハ

富士駅の西端にあった跨線テルハ

背後に見える緑十字が記された設備は荷物用エレベーターで、正式には「跨線テルハ」といい、日本で独自に発展したものである。
大抵の大きな駅にはあり、上昇したゴンドラは水平方向にも移動可能で、プラットフォーム間で郵便、荷物を運搬していた。

東海道本線ではホーム神戸寄りの端に設けられていた。そのため身延線のクモハユニの位置も自ずと甲府側で組まれることになる。
鉄道が物流の大半を担っていた時代の設備であるが、現在はほぼ撤去され産業遺産に昇華することはなかった。
また、跨線テルハには一般客は乗降出来なかったため、普通の人の記憶には残っていないかもしれない。

クハ47001

クハ47001

クモハ12001

帰路の車窓から沼津機関区のクモハ12001を

帰りの電車から空を見上げると、富士山の東にUFO状の雲が出ていた。レンズ雲という名称は後から知るのだが、楽しかった旅の締め括りの情景として、よく覚えている。