羽幌
線
羽幌線は留萌本線の留萌から日本海に沿って北上し、宗谷本線の幌延を結ぶ141.1kmの営業距離を誇る路線で、晴れた日には
ニシン漁や炭坑開発で賑わった沿線も、時代とともに衰退し、1987(昭和62)年3月29日をもって廃止となる。
なお、数ある廃止対象路線のなかで、営業キロが100kmを越えるものは羽幌線が初であった。
このページはその営業最終日の写真を掲げたものである。
国鉄羽幌線位置図
羽幌線営業最終日に私は名寄から急行利尻に乗り、幌延発05:01発の820Dで南下するルートを取った。羽幌線に乗車すること自体初めてであったため、撮影場所の計画は場当たり的な状態で臨むこととなった。
羽幌線 路線図
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羽幌線 自作のダイヤ
遠 別
橋梁付近は撮影に適しているだろうと思ったのと、日本海沿岸の風景を求めて、まずは遠別川を目指すことにした。遠別駅で下車し、30分近く歩いただろうか。資料として使用した地図の縮尺が小さすぎたため、現場は想定していた「日本海を背景に」というロケーションではなかった。一方で日本海から吹雪く風は非常に強く、堪え難い寒さに見舞われた。
遠別川を渡る822D キハ40
写真からは伝わりづらいのだが、海からの強風、シベリア
1987年3月29日
同列車 822D キハ40 06:51頃通過
822D通過後、次に来る下り列車は約1時間後の821Dである。
駅まで徒歩で往復1時間ほどかかるから、暖をとるために駅待合室へ向かっていては間に合わない。強風と寒さに耐えながら1時間待つこととなった。
金のない学生のすることである。中年となった今では、体力的にとても真似は出来ない。
左の写真と現在を比較
背後に見える「かまぼこ型」の体育館と山容のみが当時と変わらないまま残っているが、橋梁は完全に撤去されてしまった。
2014年7月現在 Google ストリートビューより
821D
1両編成の構図で構えていたところ、想定外の5両編成でやってきた。この列車は、上り「さようなら羽幌号」となる回送列車でもあったわけだ。
キハ56-146他
821D ケツ撃ち
キハ22-129 + キハ40 + +
1987年3月29日 08:03頃通過
遠別撮影地点今昔
1987年
線路脇にあった建物
2014年
2014年現在では廃屋になっている。
ストリートビューで見る
1987年
2014年
廃線敷を含めた土地は公園として整備されたようだ。
ストリートビューで見る
1987年
待ち時間に日本海の荒波を望遠撮影したものだったが、今では当時の風景の雰囲気を収めた資料としても使える。
寒さを紛らわすには食事を摂ることが一番であるが、悲しいことに、キオスクで買ったクリームパンが凍っていたのを記憶している。
2014年 記憶を繋ぎ止める風景
遠別駅
遠別駅に掲示してあったおわかれ列車の案内
"おわかれ列車"運転のご案内
◇運転期日 3月29日
◇主な駅の発車時刻
上り 幌延 9:48 → 天塩 10:14 → 遠別 10:39 → 初山別 11:12 → 羽幌 12:11 → 留萌 13:33
下り 留萌 10:10 → 羽幌 12:10 → 初山別 12:33 → 遠別 13:15 → 天塩 13:33 → 幌延 13:53
"特典"さようなら羽幌号ご乗車のお客様に各駅スタンプ入り乗車証明をさしあげます。
上り普通列車 824D
鉄道写真としては中途半端な構図の写真であるが、今では往時の風景を収めた資料へと昇華したものと自負する。
羽幌線には腕木式信号機が使用されていたことも判る。
2014年の同地点の様子
GoogleMapストリートビューより
すっかり風景が変わってしまっている。当時を偲ばせるものは左端に写る花田板金さんの屋号ぐらいである。
824D キハ40-202
撮影地から戻り(どう間違えたのか道に迷って駅に到着)、駅の待合室で20分ほど待っていると、遠別9:00発普通列車がやってきた。
右に見える煙突に書かれている「寺嶋カタン(有)」のカタンって何だろう?
最終日の列車に乗り込む乗客たち
いつもなら客は数人しか乗車していないと思われるのだが、最終日は各駅から多くの人が乗り込んできた。1両編成ではすし詰状態となり、私は次の降車駅の苫前までずっとデッキに立っていた。
遠別駅
最終日には一目最後の姿を見ようと、町のご老人も駅まで見送りにきていた。
車内から振り返って遠別駅に別れを
奇しくも、そこは「遠い別れ」と書く「遠別」という地であった。
羽幌駅
824Dは羽幌駅で1輛増結
1時間以上の立席で羽幌駅に到着。
駅名標 はぼろ/羽幌/HABORO (苫前郡羽幌町)
824D キハ22-312 + キハ40-202
羽幌駅 10:11発
増結された分だけ、更に乗客が増えたため混雑度は変わらなかった。
臨時列車「さようなら羽幌号」は羽幌駅で上下の列車が交換するダイヤになっていた。
上下の列車を別アングルで駅間撮影の計画していたため、移動時間と効率を考え、ひとつ隣の