探索 鳥屋砦跡4 (鳥屋砦跡〜畑集落)




53 東側の郭脇の道

これを下れば畑集落のどこかに出るだろうと見当をつけ、進むことにしました。

地図を開く(別窓表示)


54 細尾根

 


55 振り返って来た道を見上げる

ヤブは刈られているものの、林業関係者か猟師しか通っていないと思われるルートです。足場が悪く、滑り落ちるように斜面を下りました。


56 再び登り

再び小さなピークが現れました。この微地形のおかげで現在地の支尾根を地図上で確認できました。

 


57 支尾根のピーク

地図に標高384mと出ている小ピークです。このあたりから植生がササからアオキへと変化しています。


58 踏跡不明

ここへ来て道は消失してしまいましたが、地図に載っている人家のある方へ下れば、なんとかなりそうです。

 


59 杉林を

途中、沢に出てしまったらどうしようという不安な気持ちに駆られながら杉林を下っていくと、ほどなく作業道が現れました。


60 標高384mピークの取り付き

こんなところに出ました。あくまで作業用の山道です。この付近に立入禁止の看板がありましたが、出て行く分には構わないだろうと解釈してます。


61 取り付き周辺

無事に畑沢川沿いの道路にでました。


62 取り付きの目印

谷ヶ側から振り返って撮影。カーブが始まるあたりの右の茂みから出てきました。


63 畑沢川に落ちる滝

無名の滝がいくつもあるようです。

 


64 畑沢川に架かる7号橋

下流が若番で名づけられています。採石業者が整備し、管理しているようです。


65 畑集落

途中出会った集落のおじいさんにこの付近のことをいろいろ尋ねてみました。鳥屋砦に関してはその存在を初めて聞いたため、存じないとのことでした。地元でも知られていないようです。またこの上流側にあった峠集落に関しては、家は全部では5軒あったそうで、火事に遭い、3軒はこの下に、2軒は開成町、大井町へ転出し集落は消滅したとのことです。ここは落武者伝説のあった集落でした。消失してしまったことは残念な気がします。

 


66 畑沢川に落ちる滝

現在は畑沢川の上流に採石場が開発され、沿道をダンプカーが往来す少々騒がしい谷となっていますが、ハッとするよう風景が散在しています。


67 キブシの花

寒い季節が過ぎ、かつ下草が生えていない3〜4月を私は城跡探訪の時期と決めています。キブシはそんな季節を代表する花です。

 


68 東名高速道路(上り線)畑沢橋

 


69 峠集落の移転先の人家

先ほどのおじいさんの話にあった峠集落から移転先はこのあたりの人家と思われます。

おわりに

 明治中期測量の迅速測図を見る限り、丹土尾砦〜鳥屋砦の尾根道はなかったことが伺えます。地形としてはこの尾根上を進むことは比較的容易で自然なことと思われ、宝永の噴火以前に古道が存在していた可能性は否めません。
鳥屋砦は丹土尾砦と河村新城のほぼ中間に位置するため、足柄城の出城として中継的役割を担っていたと考えられます。歴史を含めた詳細な検証は専門家に委ねることとして、訪れる人のいない尾根の頂に、今回、それらしき地形を見出せたことに一定の収穫があったと感じています。
 次に現在の鳥屋砦へのルートに関してですが、正式な道は存在しないと言えます。柏木集落の方々が祀っていたという山頂の祠の存在は、かつて集落から山頂へ通じる道があったことをうかがわせますが、その柏木集落の消失に伴い廃道になったと思われます。今回辿ったルートは山師や猟師が使う仕事道で、年中通行できるかは保証できません。特に山頂から畑集落へ下ってきた道はヤブ苅りが一年行われなければ、通行はかなり厳しい状況になると推測されます。現地を訪れる場合は、自己責任でお願いします。
 衰退する建材としての林業ですが、一方で水源の森として県が管轄するエリアが増えつつあるようです。それに該当する森林は比較的手入れが行き届いています。今回スムーズに歩けた箇所は、そうした仕事に携わる方の作業の恩恵であったと感じています。
 最後に、個人的な希望ですが、仮に足柄峠を起点とし、通り尾砦、こなら尾砦、阿弥陀尾砦、丹土尾砦を経て、鳥屋砦、谷ヶ関所、JR谷峨駅を結ぶハイキングコースが整備されたなら、足柄峠の自然と歴史を学ぶバリエーションルートとして楽しめると思います。しかし一方で、敢えてそっと、そのままにしておくというのがいいのかもしれませんね。

<< 鳥屋砦跡 PREV.
地図を開く
スタートへ戻る >>