探索 鳥屋砦跡3 (〜鳥屋砦〜)




38 平坦な尾根に

急斜面の坂道が終わり、細尾根に出ました。山北町史によるとこの付近に柏木集落の人たちが祀っていた祠があると記載されています。辺りを注意して進みますが、見つかりませんでした。

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39 駿河小山の町を俯瞰

木々の間から小山町市街地が見えます。写真はJR駿河小山駅から音渕地区あたりまでが写っています。


40 細尾根



41 鳥屋砦主郭の頂へ

 


42 石祠を発見

山北町史には山頂から150m北の細尾根の先端にあると書かれていますが、ここが標高493mの地点なので、町史の記述は誤っているようです。


43 石祠

柏木(かしわぎ)地区の方たちが雨乞いに使用していたといわれる石祠です。ところで、柏木地区とはどこにあるのかというと、既に消失した集落です。現在の鮎沢パーキングエリア(下り線)付近にありましたが東名高速道路の建設に伴い消失しました。谷ヶへ移転された家もあるようなので、この祠に今でも足を運ばれている方がいるかもしれません。

なお、柏木集落の存在を知るきっかけになったのは「村影弥太郎の集落紀行」を見てのことでした。後に記述してある峠集落に関しても紹介されています。

村影弥太郎の集落紀行


44 石祠 拡大

谷ヶ村と刻まれていました。


45 石祠のある標高493mのピーク

ここが主郭と想定される場所になります。


46 南へ続く主郭の平坦地

一列に杉が植えられているため、分りづらいのですが10mほどの幅で平坦な地形が続いています。




主郭360°VR 詳細(別窓表示)>>

鳥屋砦概念図

土の古城探訪」の八丁掘さんに倣って鳥瞰図として地形を表現してみました。あくまで記憶を元に描いたため、主観がかなり入っています。
ここに砦があったとすれば、谷ヶ方面からの敵を防御するために造られたと考えるのが自然ですが、上記の構造でうまく説明ができるでしょうか。
山北町史によると安永三年(1773)に記された「武尾家文書」に「とや古城」と明確にその位置が書かれているとあります。しかし、その後の踏査で決定的な遺構は把握されていないとのことです。




南郭360°VR 詳細(別窓表示)>>


47 南西の郭

主郭の南西側にも平坦地がありました。写真上に青い線で地形の起伏を補完してあります。


48 東側の郭

低木が茂っていますが、こちらにも郭らしき広がりがあります。


49 南西の郭

ひな壇状に平坦地があります。青線で地形の起伏を補完


50 主郭下の南郭

便宜上、南郭と仮称しましたが、主郭との間に堀切を感じさせる窪みがあります。


51 鳥屋砦からの富士山

晴れていれば富士山が間近に見えます。このことは宝永の噴火の降灰が甚だしかったことも意味します。当時の地表は数メートル下に埋まった状況にあります。


明治二十一年測量 迅速測図 (クリックで拡大)

途中、道に迷ったため、予定していた2倍の時間が経過してしまいました。時刻は16時を過ぎ、さて帰路をどちらに辿るか迷うところです。南はゴルフ場があるため立入禁止をうるさく言われることが想定され、西は東名高速道路で支尾根が途切れています。そんな中、東の郭あたりに作業道を見付けたのでこれを進むことにしました。畑沢川に沿う道路のどこかに出るだろうと見当をつけてのことです。

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