迅速測図 谷ヶ村周辺



山北町史に添付されていた迅速測図に着色し、明治初期の地勢を整理してみました。
測量が行われた明治21年当時は、まだ東海道本線(現御殿場線)も建設中といった時代です。東名高速はもちろん、国道246号も見当たりません。
近代化以前の時代を知る貴重な資料と言えます。現在の地形図と比較してみると様々な発見があります。例:鉄道が現在の御殿場線の位置とは部分的に異なったルートを通っています。

現在ではゴルフ場や採石場として開発されてしまった峠集落周辺の地形が偲ばれ、丹土尾(につちお)砦から鳥屋砦までは尾根続きであったことがわかります。迅速測図には記載されていませんが、その尾根上を古道が通っていた可能性は充分考えられます(破線で示した部分)。また、峠集落(迅速測図では「三軒家」)から西に尾根を越える道があり、現小山町下谷と繋がっていました。「峠」という地名はこの尾根越えに由来するのかもしれません。また「柏木」集落も数軒の家として記されています。