伊豆箱根鉄道大雄山線は神奈川県西部の小田原駅と南足柄市の大雄山駅を結ぶ路線で、路線距離は僅か9.6kmである。
地元に住んでいながら、私はこれまで2度しか乗車したことがない。旧型車輌が国鉄からの払い下げだったなら、もう少し興味が湧いたとことだろう。大雄山線は緑町駅付近の急カーブによる車輌限界のため、17m車が採用されている経緯がり、余剰となった国鉄20m車を譲り受けることができなかったのである。
さほど愛着のある路線ではなかったが、この撮影は沿線に住む友人に誘われてのことで、甲種回送の方法が少々変わっていると説明され、赴いた次第である。
大雄山線の車輌は全般検査を行うに当たっては、同鉄道の駿豆線大場工場へ入場する必要があり、小田原-三島間はJR線をJR貨物に委託し甲種輸送される。
興味深いのは小田原駅では大雄山線と東海道本線は平行の位置関係にあり、連絡線線路で結ばれているが、その区間に架線が架かっていないことである。双方に車輌を乗り入れる認可が下りてないのか、牽引車がここを越えて走ることはない。
そのため、車輌の受け渡しには牽引車による連絡線上への押し出し方式が取られ、JR側からもワムが同様に押し出され、この非電化区間上で連結される。
2020年現在はコデ165が甲種回送を牽引しているが、当時は通常の3輌編成の旅客車輌がこれを担っており、JR線への受け渡し時には瞬間的に14輌編成をなす光景が見られた。
このページでは車輌を少々変わった方法で引き渡す状況と共に、背後に写る小田原駅前の様子などから、その時代の雰囲気も感じていただければと思う。
2020年5月 記
撮影:1993-02-12 小田原駅
小田原駅に入線したEF65 1068 + ワム7輌
東海道本線の下り貨物線をEF65 1068とワム80000 x7輌が到着。
EF65 1068
この撮影時の機関車はEF65-1068で昭和50(1975)年の1000番台第6次製造ロットの車輌であった。 自動空気ブレーキ系の常用減圧促進改造が施工されたことを示す赤色プレートをまとっている。
2020年現在は、改番され2068号機として新鶴見機関区所属として現役で運用されている。
機関車の真下辺りが小田原駅の当時の連絡通路があった場所である。
甲種輸送を待つ5000系 5501F編成
今回輸送されるのは5000系の第一世代で唯一の白色塗装普通鋼製車5501F編成である。すでに小田原駅に到着している編成は、大雄山線内をモハ151形が牽引してきたようだ。
JRの規則なのだろう、赤色反射板を取り付けている様子がうかがえる。
なお、この時点で5000系は自動連結器に交換済みである。
モハ163編成
続いて牽引用にモハ151形が入線。先頭車はモハ163。
撮影当時は大雄山線は新旧車輌が混在していた状況で、この5年後には7編成全てが5000系へと置き換わることになる。
連結器アダプターを装着
モハ151形は5000系の少し手前で停車し、密着式連結器にアダプターの取り付け作業が行われた。これは貨車などで使用されている自動連結器に対応するためで、本来5000系は密着式であるが、甲種輸送のためJR貨物の仕様に合わせた形を取ることになる。
新旧車輌が連結
新旧車輌とも自動連結器となり連結作業が行われた。
改めて見てみるとモハ163の丸屋根や窓配置のなんと美しいことか。台車もイコライザー型という更に古い形態であることが判る。どうやら電車としてこの時代最古の台車DT10を履いていたようである。
モハ151形が5000系を牽引
連絡線への乗り入れのため一旦、モハ151形が牽引して後進。
大雄山線車輌による6輌編成。
連絡線上で停止する5000系
その後、モハ151形による推進運転でスイッチバックし、大雄山線-東海道本線連絡線上で停止した。
推進運転でワムが連絡線へ
続いて、JR貨物の貨物列車も推進運転により後進し、非電化区間の連絡線にワムを押し出しすことになる。ただし、EF65自体は電化区間の本線上から外れることはない。
そのため余裕を持った長さのワム7輌分が必要になるのだろう。
甲種輸送に関して記載されているのだろう、貨車車票は最後尾のワムのみに確認できる。他のワムに車票が無いことからもワム7輌はあくまで控え車の役割で、空荷状態であることが伺える。
5000系とワム80000が連結
その後、5000系はモハ151形による推進運転でスイッチバックし、大雄山線-東海道本線連絡線上で停止した。
ワム80000
27,000輌近く製造された貨車で、パレットごと積載できる形式はハワムと記され、28000番台に区分された。
車体側面の4枚の扉は車体長の1/3程度までスライドできるため、どの場所のパレットも荷役できることがハワムの所以である。
撮影当時は、まさかワムが全廃になるとは夢にも思っていない。
長大編成
5000系とワムが連結してからの僅かな時間は全14輌におよぶ長大編成となっていた。
話は変わって、背景中央のポスターを調べてみた結果、中西圭三さんのStepsというアルバムの広告であることが判った。今よりも屋外広告の数は多い。この後、更に景気が低迷していく中で、サラ金の広告が目立ち始める時代へと移行していくことになる。
甲種輸送列車出発
モハ151形3輌は切り離され、EF65 + ワムx7 + 5000系x3 の甲種輸送11輌編成で三島へ向けて出発した。
小田原城と
大雄山線の甲種輸送は現在も続いている。異なることと言えば、全廃になったワムに代わり空コキ3輌が引き継いでいる点である。
小田原駅を後にする甲種輸送5000系
右には185系上り踊り子号が見える。
上空の青橋はすでに新しくなっているが、箱根、真鶴への近道である城山トンネルはまだない時代であった。
5501F編成 のその後
2020年5月現在も5501F編成は現役で活躍し、旧塗色に塗り替えられている。
写真はオリジナル塗色の「大雄山線 5000系 導入30周年 2014.3.12」のヘッドマークを掲げたもの。
小田原駅は2003年に自由通路ができたため、この位置から小田原城は望めなくなった。
また、かつて駅前デパートとして栄えていた丸井も建物を残すのみで、テナントは入れ替わっている。
撮影:2014年03月03日 小田原駅
甲種輸送5000系の現在
大雄山線の甲種輸送は現在も続いている。外観上の異なる点は全廃になったワムに代わり空コキ3輌が引き継いでいることである。写真は5507F編成。
撮影:2013年08月19日 早川 - 根府川 間
日常の風景だったモハ151形のいる小田原駅
クハ187 + モハ166 + モハ165
現在はこの位置から小田原城は望めない。
撮影:1992年7月 小田原駅