国鉄時代の185系
昭和56(1981)年に登場した185系。個人的には183系特急あまぎを追い出し、当初から特急踊り子に使用されていた一方で、急行伊豆や普通列車にも運用されていたため、格下の車輌という認識があった。
そんな185系もいよいよ2021年3月のダイヤ改正で定期運用から外れるという。
これほど大規模な改造をされることなく40年生き延びた車輌も珍しい。通常なら種車としてズタズタに切り刻まれていてもおかしくない車齢である。
当ページでは国鉄時代に撮影したものを掲げた。
他にもまだまだ撮影はしてあるのだが、ネガ起こしは手間がかかるため、いずれ時間を見て追加したいと思う。
2021年2月 記
185系
白糸川橋梁を行く国鉄時代の185系
185系はデビュー当初から普通列車にも運用されていたことが伺える一枚。
撮影 1981.11.29. 根府川駅付近
183系特急踊り子
特急踊り子は183系の運用も混在していた。
1982年
スカートのサイズも小さくグレーの塗装であった。
側面前部にJNRマークが入っているのが確認できる。
この当時は国鉄が民営化されるとは夢にも思わなかった。
1982.12.12. 根府川駅
2020年
同じ場所から。JRになり、カラーバリエーションのあった185系もこの頃にはオリジナルの斜めストライプへと戻されていった。
2020.02.20. 根府川駅
1981年 特急あまぎ
昭和56(1981)年10月1日のダイヤ改正で、特急あまぎと急行伊豆が廃止、統合されて誕生したのが特急踊り子である。 特急あまぎは専ら東京-伊豆急下田間の運用で、修善寺と伊豆急下田へ分割運転していたのが急行伊豆であった。
ここは単独で行った初めての駅撮りでない場所だった。特急あまぎが廃止される数日前にもかかわらず、同業者は誰もいない。
当時は平塚駅の南側から相模川右岸の北へ向かって貨物線が敷かれており、枕木と有刺鉄線で隔てられた線路を横断するのに苦労した記憶がある。
1981.09.28. 茅ヶ崎 - 平塚 間
2021年 特急踊り子
2021年の同じ場所で。
やはり15輌編成は圧巻である。
40年ぶりに訪れた現地は同業者が30名ほどだろうか。近年は鉄人口が増加しているようだ。
意外にも風景にあまり変化はなかったが、耐震補強による橋脚のサイズや背後のマンション群などの変遷はあった。
2021.03.10. 茅ヶ崎 - 平塚 間
L 新特急誕生記念入場券 185系200番台
60.3.14 L 新特急誕生記念入場券
185系200番台は東北・上越新幹線の営業が大宮駅以北だった時代の昭和57(1982)年6月に上野駅とを結ぶ「新幹線リレー号」として誕生した。その状況も昭和60(1985)年3月に上野まで新幹線が開通すると、リレー号は廃止され、それまで165系が担っていた急行を格上げする形で、新特急が誕生した。
新特急なすの・あかぎ・谷川・草津 時刻表
台紙の裏面には新特急の時刻表が記載されていた。