足柄峠の神奈川県側の公園は足柄万葉公園といいます。この万葉とは文字通り万葉集に由来します。当時の街道の箱根越えは後世のものと異なり、ここ足柄峠を越えるものでした。そのため足柄を詠ったものが数多くあり、公園はそれらをコンセプトとし歌が句碑となって点在しています。また、園内の植物も万葉集に登場する種類が植樹され、傍らの説明プレートには当時の呼び名も併記されています。 |
時代は下って戦国時代、クニ境である足柄峠には足柄城が築かれ、その前衛にいくつもの砦が造られました。足柄城から北へ延びる尾根には南から、通り尾砦、こなら尾砦、阿弥陀尾砦と比較的近い距離に連続してあります。そのうち通り尾砦跡とこなら尾砦跡は足柄万葉公園の中にあります。
関本から地蔵堂を経て登ってくる路線バスの終着点であるバス停「足柄万葉公園」。そこからすぐのところに四阿(あずまや)があり、この広場が通り尾砦のあった場所です。 |
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四阿のある広場はあまり広くなく、北へ続く園路を辿って行くと、薄暗い窪地に出ます。この窪地が実は大堀切(空堀)の遺構でなのですが、説明されなければ気付かないまま、こなら尾砦跡へ進んでしまうことでしょう。今回は北西方向の古道のあった尾根を目指しました。
<- 出典:「足柄城-足柄城現況調査報告書-」p.238 |
今では踏跡不明瞭な尾根ですが、この尾根の存在が通り尾砦が築かれた理由の大きな部分を占めます。手元の資料では大沢方面からの古道があり、その防備に必要だったとあります。隣接するこなら尾砦の直後にこの古道が接続しているため、足柄城の前衛にもうひとつ砦が必要だったものと思われます。 |
資料ではこのあたりが堀切想定箇所となっています。 |
100mも進まないうちに、ヤブ漕ぎ状態となってしまいました。年に数人しか通っていないものと思われます。 |
踏跡もいよいよあやしくなりましたが、誰かが付けてくれた赤テープのおかげでなんとか古道があったであろう尾根を進む事ができました。「足柄城-足柄城現状遺構調査報告書-」によるとこの尾根を「通り尾」と呼ぶそうです。別の資料では「クラ尾根」とあります。語源は暗尾根かそれとも蔵尾根か? |
ヤブ漕ぎを終えると比較的整備された樹林帯へ出ました。 |
踏跡は不明瞭なため尾根の中心を注意深く下ります。 |
樹木の間から対峙する尾根が見えました。一番高い地点が阿弥陀尾砦の頂と思われます。 |
左右から沢に挟まれ、クラ尾根は終わります。沢伝いに進む事にしましたが、まもなく堰堤が現れ、落差数メートルのため沢伝いには進めません。さて、左岸、右岸どちらにトラバースすべきか。 |
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