七国峠

名前の由来は説明板にあるように七国が一望できたことにあるといいます。
本来の七国峠は西に広がるゴルフ場の頂を指します。181.7mの三角点あたりがピークですが、ゴルフ場の建設前の地形がどんなものだったのか想像することは今や難しくなっております。ここの峠も乗っ越す峠ではなく、山頂を示すドッケから転嫁したといえます。現在は道路脇に築かれた小広場に四阿と説明板でかろうじて往時を偲ばせてくれます(駐車場はありません)。

平塚八景 七国峠
平塚市最西端で標高182メートルの七国峠は、甲斐、駿河、伊豆、相模、安房、上総、武蔵の七国が一望できたことからその名が付けられたという。この峠には、源頼朝が挙兵したときこの地の領主、土屋三郎宗遠も一族を率いて参加したが、石橋山の合戦で宗遠の実子、忠光が戦士したのを悲しみ植えたといわれる供養松の伝説もあり、また、長兵衛茶屋では甘酒で旅の疲れをいやしたという。

現地説明版より転載

四阿からの眺め 本来の位置からずれているため、甲斐、駿河方面は望めません。
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