向梶ヶ尾-吾妻山 探索

目的

今回は送電鉄塔安土(やすど)線と吾妻山の探索に挑戦してみました。
手持ちの1/10000 白地図には吾妻山へのルートは記載されておらず、どこからアプローチしようかと考えたあげく、共和小学校の裏手の尾根伝いに行けば、いろいろ面白い発見があるだろうと思い、まずは鍛冶屋敷集落へ向かいました。経験からこのような長い尾根にはその背に道があると考えた訳です。
鍛冶屋敷集落は山北駅から大野山へのハイキングコース上にあり有名です。休日ということもあり、私の前後にも幾人かのハイカーがいました。

地図参照(別窓で表示します)

01 須賀社

道路脇の少し下ったところにひっそりとありました。

02 須賀社の銘版

03 山北町立共和小学校

背後に見えるのは大野山の東端、通称高杉山
このあたりは古宿(ふるやど)という字名になります。

04 富士山

共和小学校付近から

05 NTT 携帯電話用の電波塔

一般ハイカーとは異なるルートへ進みました。

06 SS山北皆瀬川

古めの地図にも電波塔の記号が記載されています。携帯電話の中継局は高速道路沿いが最も早く整備されたという経緯があります。

取り付き

07 尾根への取り付き

NTTの電波塔脇の農道は間もなく行き止まりになっていました。その付近の畑で農作業をしている方に尾根への取り付きを訊き、いざ突入。

石碑

08 河村氏表忠塔

国土地理院1/25000地形図で標高370mとうたってあるピークに傾いた石碑が二座ありました。道らしい道もない山の中に人知れず...
南北朝時代には、河村城は吾妻山にあったという説を推して建立されたのかもしれません。

09 建武中興 六百年記念
 
昭和九年十月十四日 陸軍中将林弥三吉書 と記されています。
少し調べてみると、後醍醐天皇の建武の新政を記念した石碑のようです。この付近には後醍醐天皇の伝説が数多く残っており、都夫良野(つぶらの)という地名も「都よ(みやこ)夫(それ)良野(よしの)」と望郷の念が込められたという逸話もあります。

ザトウムシ

10 ザトウムシ

やたらといました。道程5mに一匹以上は確実に。
クモに似ていますが、厳密にはザトウムシ目という別の種類に分類されるそうです。胴体が数ミリしかない割に、足が異常に長いのが特徴。もっとも、胴体まで大きかったら不気味で仕方ないですね。

外部リンク ザトウムシ(Wikipedia)

11 鹿・猪防護柵

柵が敷設されているため、思うようなルートが得られませんでした。半ば強制的に柵伝いに歩くことになります。

12 防護柵の横断用扉

柵伝いに尾根を下って行くと、尾根を横断する道が現れました。
私はGPSを持っていないため、試しに西へ向かい位置を確認することにしました。

13 車道への接続

現在地を確認。思ったより進んでいなかったことに気づきました。

 

 
地図参照
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