旧型国電の走る身延線への最後の遠征したときのスナップである。
このときは単独だったため、少々の心細さと、芽生えはじめた自己を客観視する羞恥心のような、複雑な心情を携えてのことだった。
撮影日は1981(昭和56)年8月23日。アコモ車の62系を除く旧型国電の営業最終日が同月31日だったので、その1週間前ということになる。
既にワインレッドの115系が運用に入っており、形式写真を思うように撮れる状況ではなかった。
また、富士駅へはこれで5回目の撮影であったが、富士宮以北へは乗車したことがなかったため、もう少し足を延ばし身延まで往復することにした。
富士駅に到着したのは午後になってのことだと思う。
ホームには「ごくろうさま・・・」と旧型国電引退をねぎらう横断幕が掲げられていた。
富士駅に入線する旧型国電
クモハユニ44801
富士宮以北まで行く列車は本数が少ないため、旧型国電が入線したら乗車しようと決めていたのだと思う。 最後に乗車することになった車輛はクモハユニ44801。先頭車のボックス席に座ることができた。
クモハユニ44801車内
木製のインテリアは現在ではかえって高級な仕様と言えよう。
屋根全体が低屋根のクモハユニ44801は当然のことながら、車内の天井にも段差は見受けられない。
クモハユニ44801 荷物室
荷物室には週刊のマンガ雑誌などが見て取れる。小包等は郵便局ではなく駅に受け取りにいくこともあった時代で、まだ鉄道が物流の要を成していた時代の光景である。
内装は、天井は化粧板が施工されておらず、木製のフレームがむき出しである様子が伺える。右に写る灰色の箱は金庫だろうか。
電車区を過ぎて
富士宮を過ぎると左手に電車区が現れる。
こういう旧型国電のいる風景、今でも夢に出てきてしまう。
小断面の身延線のトンネルを
このトンネルだったか、風圧でかぶっていた野球帽が外へ飛ばされてしまった。
大カーブを振り返って
2輛目はクハ47だろうか。連続窓の美しい車輛だった。
山間から駿河湾を
富士宮を過ぎると、身延線は山間部に入り、ますます景色は良くなる。
トンネルを振り返って
身延駅
時間の都合で、身延駅で引き返すことに。 日蓮宗の総本山のある身延山久遠寺の最寄駅でもある。 ホームには「日蓮聖人第700遠忌」のタペストリーが掲げられていた。
身延駅で集荷中のクモハユニ44
帰路に乗車する列車はワインレッドの115系であった。 特に魅力を感じていなかったためだろう、このときは一枚も写真を撮っていない。