弘法山山頂 360°QTVR

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 南東方面に江ノ島を望めます。

 

乳の水

 

権現山へと続く桜並木の道

弘法山の歴史(こうぼうやま)


 弘法山の名前は弘法大師(774〜835)がこの山頂で修行したことから名付けられたとの伝承があり、権現山(千畳敷)を含んで呼ぶこともある。弘法山は麓の龍法寺と深い関わりを持ち、戦国期に真言宗から曹洞宗に変えた。鐘楼の下に続く沢を真言沢と呼び、その名残がある。
 弘法山の鐘は、享保頃(1716〜35)に龍法寺5世無外梅禅(むがいばいぜん)と行者の直心全国(じきしんぜんこく)が発願し、弘法山周辺の村々の有志や念仏講中の人々の寄進により宝暦7年(1757)12月に完成させた。明和3年(1766)に山火事でひび割れ、再び周辺村々の有志や江戸隅田の成林庵主で下大槻伊奈家出身の松操智貞尼(しょうそうちていに)の尽力により徳川御三家や諸大名などから「多額の喜捨」を得て享和元年(1801)5月に完成した。鐘は当初から「時の鐘」として親しまれ、災害の発生も知らせながら昭和31年まで撞き続けた。現在の鐘楼は慶応3年(1867)年に再建したものである。

乳の井戸 山頂に白色の水の湧く古井戸がある。これで粥を炊き食すれば乳が出るという信仰から「乳の水」と称して昭和30年代初めまで授乳期の母親や妊婦が遠方から水を求めてきた。かつてはこの井戸の脇に二つの池があり、夏には太い柳の下で蛙が鳴き、金魚の紅い色が水面に映じて美しく静かな時が流れていたが、関東大震災の後に水涸れが起こり一つを埋めてそこに桜を植えた

秦野市

現地説明版より転載

 


権現山から見た弘法山

西へ20分ほど歩けば、権現山の展望台があります。



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