足柄神社
新編相模国風土記稿には矢倉明神社と、明治14年に足柄神社と改称されました。戦艦「足柄」に分霊されたという史実もあります。
古代には矢倉岳を崇拝し信仰した名残から矢倉明神と称したといいます。足柄峠東側一帯の総鎮守のして、親しまれてきたといいます。

足柄神社拝殿 本殿は三間社流造
一枚板から彫刻された獅子 : 見応えがあります。 観音堂の苔むした境内
観音堂(本地堂)
足柄明神の本地仏聖観世音菩薩像を祀った堂です。平安時代末期から鎌倉時代にかけて盛んだった本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)(仏が人々を救うために神に姿を変えて現れたとする神仏同体の考え)によって建てられたお堂なので、昔は矢倉明神の別当寺弘斉寺が管理していました。現在は旧苅野岩村57件で管理しています。縁日は8月9日で、昔は苅野岩村地区の念仏講中が念仏を催し、若者講中が燈籠をつけるなどして賑わったそうです。境内には300年もの庶民信仰を語ってくれる庚申塔(こうしんとう)などの石仏石祠群があります。
境内にある石祠群 合祀された名残でしょうか 県道からの参道 背後に見えるのが足柄神社社叢
参道からみた矢倉岳:美しい山容を呈しています。
信仰の対象となった理由がこの写真からだけでも頷けます。
路傍の庚申塔:足柄古道を登り、農道を摺手集落へ抜ける分岐にありました。

足柄神社(矢倉明神)と関連した石祠
足柄峠・山の神曲輪の石祠
足柄峠に架かる遊歩道橋を南へ渡った山の神曲輪にあります。
時代はこの祠が最も古く、また足柄峠の最高地点付近にあります。
そのことからも、山を神のいます聖域と考えられていた時代からの由緒あるものといえるでしょう。
足柄明神
峠の茶屋から少し矢倉沢側へ下ったところに南への分岐があり、間もなくあります。
「明治六年(1873)酉八月吉辰」「矢倉沢村中」と彫られています。新編相模国風土記稿・苅野岩村の矢倉沢の項に「古は足柄峠に鎮座し足柄明神と号せり」とあり、矢倉沢村の項にも「頂に矢倉明神の小祠あり。苅野岩村矢倉明神の旧地と伝ふ」とあります。
参考文献 : 「あるく・見る萬葉集『足柄・箱根歌』」田代道彌 著
 神奈川新聞社かなしん出版
矢倉岳(標高870m)山頂の石祠
年銘はありませんが、傍の石灯籠の竿に「天保三年(1823)辰六月吉日 奉納矢倉大明神 願主村中」とあります。
古はこの地に足柄神社(矢倉明神)が鎮座していたといい、奥宮であったともいえます。
矢倉岳山頂360度の様子(QTVR) >>
県立21世紀の森から遠望した足柄神社
(足柄平野超展望図03) >>

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